浜の宮王子と補陀落山寺

浜の宮王子は、那智山への入り口にあり、渚の宮とも呼ばれている。
 那智山に詣でるときにはここで潮垢離をし、心身を清めたといわれ、隣には、補陀落山寺があり、境内には、周囲6m近い楠がそびえている。
 補陀落山寺は、変な名前であるが、平安時代、南の極楽浄土をめざして那智浜にやってきた人たちが、さらに南へと小舟に乗って補陀落山(フダラクサン)へと旅立った。この船出を補陀落渡海といったことからつけられたといわれ、今も小船の復元模型が展示されている。

大門坂を登り終えると、那智大社の参道へと続く。 那智大社の主神は熊野夫須美神、縁結びの神だといわれている。また、滝を神とする原始信仰からおこった社でもある。
 社殿は熊野三山のうちもっとも簡素で、熊野造、権現造の古式を完全に残しているといわれている。 境内には、樹齢800年、高さ27メートル、幹周り8・5メートルという重盛手植えの楠がある。(写真左)

青岸渡寺

 那智大社のすぐ隣に、青岸渡寺がある。西国三三番札所の第一番札所で、開基はインドから熊野に漂着した裸形上人といわれている。

熊野那智大社

熊野古道を歩く

その2

左が補陀落山寺 下が浜の宮王子

那智の滝

天から湧きでて降ってくるようなスケールの大きい那智の滝は、高さ133メートル、幅13メートル、滝壷の深さ10メートル、もちろん日本一の滝で、熊野那智大社の別宮となっている飛滝神社の御神体でもある。
 滝のしぶきに少しでも触れると、長寿をさずかると伝えられている。

豪壮那智の滝

青岸渡寺からは那智の滝が一望できる

大門坂にある多富気王子跡の碑

大門坂の途中から那智の滝も望まれる

婦杉の巨木がそびえる大門坂の入り口(上2枚) 鬱蒼と茂る杉の木立と石畳が美しい参道(下2枚)

熊野那智大社に通じる大門坂

境内にある熊野行幸記念碑…それによると後白河上皇33度、後鳥羽上皇29度、鳥羽上皇23度など23方で、合わせて141度と彫られている。

 三重県の最南端、紀宝町から熊野川を渡ると和歌山県新宮市、間もなく熊野速玉大社に到着する。速玉大社は、全国に数千社はあるといわれる熊野神社の総本宮でもある。
 祭神は、熊野速玉大神(いざなぎのみこと)・熊野夫須美大神(いざなみのみこと)を主神に、十二柱の神々を祀り、新宮十二社大権現として全国から崇敬を集めている。

熊野速玉大社

 熊野本宮大社は、和歌山県本宮町にあり、かつては熊野川の大斎原に本殿があったが、明治時代に大水で流され、今は川のそばの小高い丘にある。  
 熊野は古くから人々の熱い信仰に支えられた聖地であり、熊野詣が盛んであったのは平安時代の中期から鎌倉時代にかけてであると伝えられている。中でも、宇多上皇以来、法皇・上皇の御幸も盛んで白河院が12度、鳥羽院が23度、後白河院が33度、後鳥羽院が29度参詣されたと記録されている。江戸時代に入ってからは庶民の参詣が多く、「蟻の熊野詣」といわれたほどである。
 本殿へと続く158段の石段の両脇には幟がなびき、生い茂る杉木立が悠久の歴史を感じさせる。一歩一歩石段をのぼり詰め、総門をくぐると、檜皮葺の立派な社殿が姿をあらわす。この社殿は平成7年に国の重要文化財に指定された。

熊野本宮大社

熊野古道Bへ

熊野古道@へ

大門坂と多富気王子

熊野那智大社への最後の難所が大門坂である。那智山の入り口、浜の宮王子をスタートして、比較的なだらかな古道を歩いた私たちは、市野々王子を経て大門坂に挑んだ。
 大門坂バス停から、旧参道に入り、しばらく行くと、正面に夫婦杉と呼ばれる樹齢1000年、幹回り8mほどの杉の大木が門のようにそびえ立ち、そこからは昼なお暗い石畳の坂道が続きく。 50mほど登ると、右手に熊野古道最後の王子、多富気王子跡がある。

すべての古道は熊野三山へ

 熊野古道は、熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)に詣でるための道である。熊野は、古くから神々の住む聖地として崇められ、大自然の中にある熊野へ厳しい道を乗り越えて詣でることで、来世の幸せを神々に託すという信仰が生まれた。これが「熊野詣」である。
 「熊野古道を歩く」 第2回はこの熊野三山を訪ねた。といっても、歩いたのは熊野九十九王子のひとつ、浜の宮王子から那智大社に至る古道。速玉大社と本宮大社はバスでのお参りである。
速玉大社の境内には、平重盛が植えたという神木「なぎの老樹」がある。
 樹齢1000年、幹周り6メートル、高さ30メートル、全国最大のなぎの巨木といわれ、天然記念物に指定されている。

青岸渡寺からは那智の滝が一望できる